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「学力低下」のこと

乙武洋匡氏が、ブログで「学力低下」について書いているのがあって興味深く読んだ。

というのは、「乙武洋匡」氏と「学力低下」というと、昨年の夏のある出来事がどうしても思い出されてしまうからだ。
 ある中学3年の夏休みの課題として、乙武氏の『五体不満足』が課題図書として選ばれ、その読書感想文を書くことが宿題としてだされた。何人かの生徒が塾に作文の指導を求めてやってきた。

「先生、なに書いていいかわからないよ。」
「いきなり、文章にすると大変だから、まずどんなこと思ったか先生に話してごらん。」
「うーんとねぇ。なんかこれ嘘くさくないですか?」
「へ?」
「だって、『シンタイ』ですよ。友達がいろいろと手伝ってくれたみたいなことが書いてあったけど、なんか嘘っぽくて・・・。」

僕はこういう感性こそが、まさに「学力低下」の表れに他ならないと考えてしまう。それは、「学力」とは、結局のところ、「他者を理解する力」に他ならないと僕は思うからだ。

こういう事例を出すと、「だから『詰め込み教育』はだめで、『総合的な学習』が必要なんだ。」という声が聞こえてきそうだ。おそらくその指摘は間違えていない。けれども、そういう声に僕が素直に賛成できないのは、彼らの多くが想定しているであろう「受験勉強」=「詰め込み教育」という図式であり、「受験勉強」と「総合的学習」が対立概念であるという図式にまったく僕が賛成できないからだ。

ちなみに、昨今の中学生の間でクラスメートを揶揄する言葉は「バカ」でも「アホ」でもなく「シンタイ」である。もちろん「身体障害者」という意味である。

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